地方医学生OUTLANDのブログ

自由市民を目指すブログ。

私は映画が好きだ。中でもノンフィクションやドキュメンタリーが好きで偏った趣味を持っているのだが、クソ映画でも一応最後まで見るくらいは映画というものが好きだ。

今後また、映画について書くかもしれないので、今回は①として、好きでかつためになったと思う映画を紹介したい。

・ウルフオブウォールストリート
(内容)ハングリーなディカプリオ演じる主人公が持ち前の詐欺師的才能を発揮し、金を稼ぎまくり下品なこともやりまくる。ディカプリオ好演。ちなみにその主人公のモデルは実在する。
(教訓)ある時、主人公は新しい投資会社を作る。その初期メンバーはハングリーだが、本当にアホばかり。そこで、レストランのテーブルに彼らを集めミーティングをする。そして珍しくマジメに彼らにビジネスの何たるかを教える。

「このペンを俺に売れ」。さて、あなたはどうするだろう。よければ少し考えた方がいい。

さて、答え。

仲間の一人、ブラッドは唯一頭の切れる奴だった。彼は正解を出したディカプリオ以外の唯一の人間だった。ちなみにブラッドはマッチョな強面だ。
ブラッド「今ここにサインを書け」
ディカプリオ「ペンがない」
ブラッド「じゃあ、ペンを売ってやる」
無理やり売るために需要を作るというのが正解だった。そこから、顧客に夢を抱かせたり不安にさせたりし、彼らは需要を作りクズ株を売りまくる。ちなみに、他の者は「あー...このペンはいいペンですよ」とかいうくらいで、需要を作る力に大きく欠けていた。

あと面白いのは、この法則に気づき、計画し、準備を整えたのはディカプリオ以外いなかったが、実際のセールスだけなら真似をすれば誰にでもできたことだった。実際、金を稼ぐのには才能がいる所と必要ない所の差が激しいらしい。金稼げる→才能ある、ではない。才能ある→金稼げる、でもない。金持ちには特別な共通点はない。金を使うより稼いだから金持ちでしかない。

・アメリカン・ハッスル
(内容)どこからどう見てもカツラの胡散臭い男は詐欺の天才だった。フィクション。
(教訓)彼の得意技は絶妙な否定だ。うまい話はしても、カモが食いつけばすぐに応じることはなかった。相手がお願いをしてきたら、必ず「やめた方がいいんじゃないか」とか「そんなの無理に決まってる」と弱弱しく頭ごなしに否定する。この否定の仕方が絶妙。持ち前のブサメンも助けてついついカモは調子に乗ってしまうという展開。否定すればするほど強く求めるというのはうまいと思う。あとから「だから言ったじゃないか」とか「君がそうしたいって言ったから」と言い訳もしやすい。ただ、彼はロマンチストだし憎めないところもあるしで、割とハッピーな話。
これは、今のビットコインで長者が「ビットコインなんて買ってはいけない。危険すぎる」とかいうのに近いと思う。

・悪の法則
(内容)エリート弁護士である主人公がうまい話に乗った結果、取り返しがつかないことになる。
(教訓)悪いブラックスワンの象徴のような話。大きなリスクは誰であろうと無縁ではいられない。もうめちゃくちゃ恐ろしい話。フィクションはハッピーエンドと相場は決まっているはずなのに。そういう意味で珍しい映画。

・マネーショート
(内容)「大暴落を予期し大儲けする」話
(教訓)「大暴落を予期し大儲けする」と「」をつけたのは、そういうイケイケドンドンの景気のいい触れ込みでこの映画が宣伝されていたが、実はそうではないからだ。予期し最後に大儲けした彼らだが、実はその過程で大暴落を予期しつつも大きな不安に襲われるし、大暴落が真実味を増してきてもその理由を誰よりも正しく理解しているために、それがどれほど多くの人を犠牲にし不幸にするか、どれだけ醜い世界があったのかについて知ることになり混乱する。誰よりも正しい選択をした人たちの心境はほとんどネガティブで苦しいものだった。

タレブの反脆弱性はとても面白かった。
と同時に、私の好きな雀鬼こと桜井章一の考え方ととてもよく似ていて驚いた。
反脆弱性を読んで特によかったことは、漠然と考えることしかできなかったものを表現するための造語を彼が多く提供してくれていることだ。

ひとつ、タレブの反脆弱性の理論で分かりにくいところは、デブのトニーという謎のアンチヒーローの存在だ。彼は、センスの塊で、その才能により巨万の富を得ている。ここで、たぶん彼の存在を印象付けるため、正しくは「学者ほど博識ではない」また「品がない」と表現すべきところを、全く知識がないように書いている節がある。しかし、それはタレブ自身、重要な事象に対して誰よりも深く理解し鋭い感性を持っているわけで、それをトニーという分身に重ねているわけで、デブのトニーが全くのアホなわけではないし、投資周辺の分野では少なくとも知識も情報もあるはずだ。(たしかに、深い知識や詳細で複雑な情報はないのだろう)同じような例としての、コックスニーを使う為替トレーダーたちも同じように、訛りもあるし実際スイスの場所もしらないし、「本物の男はシート(データ)なんて使わないよ」とかいうし、確かに想像の洗練された投資家からは程遠いが、為替の知識や情報まで全くないわけではないし的を得るだけの知識は必要なのだ。

現在種銭あつめも始まっていない私だが、この際、今後投資をしていく際のスタンスを言葉にしておきたいと思った。
信仰・・自然、バイタリティ、体力、精神的タフさ、自分の掟、行動、体験、多動、マルチタスク、メタ
生活・・好奇心・楽しい・趣味重視。ただし、生活水準上げない。見栄張らない。節約。
投資・・本多静六の「好景気では節約、不況で投資」タレブ「バーベル戦略」
8割部分はランダムウォーク理論を信じての長期逆張り。自由な整形外科医「超長期逆張り投資」
2割部分は順張りなら先行者利益重視、行動重視。それかアーリーアダプターかつスピード重視の短命、低在庫、一攫千金型の単発ビジネス。「オプション性重視」

また、ビジネスについて、金ばかりが重要でもないと思う。(もちろん余裕が前提だが)たとえ赤字のCFでもそれが自分の価値観に合ったものであれば、必要経費だろう。(社会貢献の精神はすでに医者という仕事と税金から満たされているはず)ビジネスは、起業した法人の企業理念が価値観に合っていれば価値がある。

また、私の最もあこがれるスタイルはハッカー(広義の)だ。もちろん、犯罪者として生きるのは嫌なので、信頼される社会的人格ベースは守りたい(特に若いうちは致命的になる@日本)。しかし、時に応じて、ありあわせのもので間に合わせるクリエイティブさを持ち、急所・脆弱性を付く機転をもちたい。ハッカーであるには、知識を超えた知恵がいるし、それこそがスマートでメタっぽいところがかっこいいしあこがれる。

ハックには対象の脆弱性が必要だ。ハッカーの強敵は欲のない分裂した社会だ。仕事量が増える上に、生産性が減る。

思うに、効率化や技術の進歩は万能なようで万能でない。いくら人間の文明が進歩(真の意味での進歩かはさておき)しても、脆弱性や偏性は埋まることはないばかりかますます大きくなる。その理由は、コンピュータやAIでできることには偏性があるからで、また社会の性質、言語の性質や感性の偏性、本性の性質のためだ。現在のところ、コントロールしやすく視覚化しやすいデータは全盛期を迎えようとしている。我々は、その進歩やイノベーションがおこり続ける限り、ますますコントロール力が増し豊かになると信じて疑わない。(それはある意味正しいかもしれない。しかし、それは社会の最上位者による人間へのコントロールに限られるだろう)

今後、ITやビックデータにより未開の分野が開発されるだろう。しかし、それでもコントロールや未来予測の完成には程遠いはずだ。タレブも予測は不可能ということを繰り返し述べている。とはいえ我々はITやビックデータにより、完璧な予測を可能にすることを目指すことをやめないだろう。そのたび、ますます自分は賢いと錯覚に陥るし、コントロールができると思い上がるだろう。その状況こそハッカーの環境として理想的だ。なぜなら、完全なコントロールや予測はやはり不可能で、そのような思い上がりは高くつくからだ。逆に、多くの人間が欲が少なく謙虚になることは非常に恐ろしい。

しかし、謙虚にはしばらくならないだろう。それは、我々には不安や不安定や衰えを嫌う性質からだ。コントロールできないものを排除しようと我々は有史以来し続けてきた。時には、一度謙虚にもどるため、文明を捨てたかもしれないが、それは超長期的にみれば些細な出来事でしかないだろう。


思うに、偏性がなくなることが最も恐ろしい。偏性は一見エントロピー増大の法則にしたがって、格差は小さくなり収束しそうだ。しかし、実際そうではない。自然の中で我々は異質な存在であり、明らかに偏性を持っている。理論物理の世界だけをみれば、技術の進化によりエントロピーは増大するだろうが、我々の心はほとんど10万年以上前の自然のままだし、我々の体も自然のままだ。よって、最効率化が進むほど我々の精神は病気になりやすくなっているしや身体は有限でしかない。このように自然はどんなときも我々とともにあり、排除できないため、いくら森林などを破壊して畑にしたりしたところで、自然はなくならない。

自然はタレブ曰く、反脆弱性の管理者だが、ランダム性の根源の一つでもあると思う。よって、ランダム性を排除するために自然を壊していくことは一見有用だ。しかし、現在の状況を見るに、その努力はランダム性の排除という良い側面よりも、反脆弱性の喪失による脆弱化という悪い側面の方が強くあらわれているように思える。人間はやはり自然の前ではただのちっぽけな存在ということだろう。しかし、それを認めない我々は我々の偏性をますます強めていくだろう。

ほかに、偏性を弱くする方法があるとすれば、我々が現代の効率化を否定することだ。そして、巨大な中央政権を放棄し、経済的豊かさを捨て、老子の小国寡民を目指すことだ。しかし、それはあまり現実的でないかもしれない。というのも、我々本来の安心感を求める性質からでもあるし、手放すことが苦手な性質からでもあるし、動物しての環境が悪化するときにうつ状態になる性質からでもある。そして、さらに現代では、政府が自分の食いブチを失いたくないがために、我々が社会から外れるハードルを上げている。少なくとも日本で日本の国籍を捨てることは非常にコストが大きく設定されているので、どこか非文明の国や地域へ行かなくてはならない。もし、日本で日本のルールに従わなければ、国家の組織により排除されるのみだ。

一方、人間にも動物的な本能として、効率化や個の重要性を否定し、個を犠牲にして種を守るときもある。それが強まれば、革命なりが起き、現在の文明が否定され老子理想の小国かみんへ向かう可能性もあるかもしれない。しかし、人間全盛期の間は思いあがりのためそんな本能が多くの人の表面に常に出ていることはないだろう。あれば、もっと早い段階でそうなっていたはずだ。これは七面鳥問題の一種かもしれないので、100%とはいえないが、利益追求的な経済では、組織が大きいほど、また欲深いほど、そんな種の本能が現れることはないだろう。

あと、人間が愚かになりえる原因は、個は成長し成熟していくが、個の命は有限であることだ。種は常に新陳代謝を繰り返し、その性質による失敗をくり返す。また、ある意味その状態は健全の証拠でありある意味必要悪なのだろう。しかし、現在、そのような失敗すらコントロールし、排除しようとしている。そのため、我々はますます不健全になっている。ランダムにおこる失敗をゼロにすることはできない。リスクは積み重なり、やがて干渉すらできないサイズになったときに突然現れるだけだ。(タレブの「ブラック・スワン」)

よって、私の生きている間のほとんどは、非常にハックしやすい状態がつづくだろう。逆に人間関係の方が、ハックしにくいかもしれない(人の感覚は鋭敏で心は自然そのものに近いため)ので、人間性は金で買えないし、別に磨いていきたい。全員に愛される人にはなれないが、一部からでも自然と愛される人は素晴らしいしそうなりたいので。

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