大学の教育に自分は期待し過ぎていたかもしれない。にしても、ここまで酷いとは思わなかった。

これは地位の弱い駅弁大学に共通の現象ではないかと思う。もし、見た人がいれば意見を聞きたいが、自分の聞く限り駅弁ではどこも同じようだ。

実際私の大学の教育方針は、最上位クラス以外の私立同様、「国試に落ちそうな奴を試験で落とす」というものになってきている。しかも試験はかなり偏った内容だ。ほとんど国試準拠していないので、国試合格のスクリーニングにならないばかりか、無駄な勉強に無駄な時間を使わざるをえないため国試勉強に悪影響ですらあると思う。

これは教授と教育者の無思考的服従・保身のためだ。

そこで、教育能力が欠如しまた言われた事以外しない彼らと良い教育を求める我々がwin-winになれる現実的な方法を考えてみた。

それは、医学部予備校ビデオ講座をメインにする事だ。そして、学校の試験も医学部予備校に委託する事だ。そして、授業の時間は自習にして教師はチューターになる事だ。昔とは環境が変わったのだ。だから、変わらない事にこだわる必要はない。

この方法の良い点は、何十年前に国家試験を受けた教師全員に最近の国試の傾向を確認させる時間のロス、聞くに堪えない授業をするロスを省ける事だ。予備校より深い考察は教師に期待できないのは火を見るよりも明らかだ。

教授は優秀だから、こんな簡単な事も分からない訳がない。多分、制度的にがんじがらめなのか無関心・保身的だから、現状を省みるメリットがないのだろう。結局、大層な肩書きの彼らも人間だから自分の保身に走るのは仕方ないだろう。

これを変えるためには、教育の質の評価基準を変える必要がある。現在は、国試合格者/国試受験者で評価されることが原因だ。これを国試合格者/6年の総数にするべきだろう。なぜ、こうなっていないのか不思議だが、これは学校責任者が学生の不勉強により評価を落とすのを避けるためだろう。どこまで彼らは保身的なのだろうか。

当然だが留年者の数の多寡は教育の質を表している。留年者が多いという事は教育の質が悪い事と相関関係は多分にあるだろう。それを留年者のみのせいにする事は間違っている。それでは、留年者は教育の質の悪さと試験の不公平さの責任も転嫁される事になる。終いには留年した者はほっとかれるだけで、彼らへ配慮などもない。あたかも留年者は殉職者のようだ。

本来、良い教育とは、ほっといても出来る者以外の落ちこぼれをどれだけ育てられるかで測られるものではないのか?

既得権益が崩れているためか、それにしがみつき自分の非を認めることの出来ないのだろう。彼らは真のエリートではないし、ただの卑しい既得権益者にすぎない。

今まではそれでその場凌ぎができたが、いつまで通用すると思っているのだろうか。ま、教授や学部長の任期を終えるまで延命できればいいと皆考えているんだろうが。

卒業したら学校とは関係なくなるので、即学生の意見を匿名でフィードバックできる組織を作れたらいいなと思う。





それじゃ、また。