アベノミクスの三本の矢と同様に、これもまた目的が非常に不透明な政策案だ。表向きには

「働き方改革」は、一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジであり、日本の企業や暮らし方の文化を変えるものです。
厚生労働省では、女性も男性も、高齢者も若者も、障害や難病のある方も、一人ひとりのニーズにあった、納得のいく働き方を実現するため、「働き方改革」の実現に向けて取組を進めていきます。

働き方改革の計画実行案 厚生労働省


ということだが、政府がわざわざそう考える理由、目指す方向性が分からないので考察したい。

まずこの耳障りのいい働き方改革は、政府が必要に迫られての取らざるを得ないもので、かつ政府にとってもっとも合理的な解決策であるという前提のもと考えてみたい。

私の予想する働き方改革が政府にとって必要となる理由は、

少子高齢化による人口構造の変化にともなう社会保障の疲弊

であり、働き方改革の目的

会社に社会保障の役割と責任を転嫁し、政府の社会保障負担を軽減すること

ではないかと思う。労働環境改善は大義名分ではないかと思っている。

この働き方改革によって、現在の残業時間を減らすことで労働者の限られたパイをより多くの潜在労働者にも分配することになる。

そして、高齢者や障害者の労働への参加が可能になることで、最低限の社会保障は引き下げる事が可能になるだろう。

一方、多くの労働者の可処分所得が減るため、多数の労働者の可処分所得は減少し、景気は悪くなるだろう。これは、働き方改革の掲げる目標の一つである中間層の増加とは全く逆だ。しかし、普通に考えて、パイを増やすような改革をしなければならない。そうでなくては、企業が身銭を切ってパイを増やすしかない。

よって、働き方改革の本質は、

社会保障費に対する政府の負担を軽減するための政策で、その埋め合わせを企業にも負担させるものであると思う。

もしそうだからといって、働き方改革が悪いというわけではない。これはやむにやまれずの応急処置的な政策としては正しいだろう。しかし、根本的な解決方法ではない。根本的な解決法は、社会保障など既得権益の破棄と新たな産業の創出だろうが、それができていればもっと早くしてるよな。よって、社会保障が今後もじわじわと削られていくだろう。

オーナス期も落ち着く私が年金を受ける頃には(年金があるかも怪しいが)、政府による社会保障はかなり薄くなっているだろう。だからこそ、今の高齢者の社会保障を負担する使命は感じないし、今でも十分すぎると思う。

人口ボーナス期の波にうまく乗るために最適化された社会保障制度も法律も、当時の状況のために最適化されたものであるし、日本人はそれを考える能力があった。だから、人口オーナス期となった今は現在の状況に最適化された制度を根本から再構築する必要がある。それによりうまくできる力は日本人にはある。ないのは流動性だけだ。それが”抜本的な改革”というものだろうが、政治家の思う”抜本的な改革”は人口ボーナス期の成長を前提とした制度という土台の上での改革でしかない。それではうまくいかなくて当然だろう。なので、制度が土台から変わらない限り、中間層の近代のような繁栄はほとんど期待できない。

では、人口ボーナス期に合わせた国家とはどのようなもので、一から考えた制度はどのようになるだろう。

富国論的には、社会保障をなくし人口ボーナス期に獲得した日本のポジションを人口オーナス期が終わるまで死守することではないか。これに則れば、働き方改革の前に政府は社会保障レベルを削るべきだろう。それか、高齢化が追い風となり加速度的に世界にとって付加価値を生むような案を考えるべきだろう。

社会保障レベルを下げなければどうなるか。国力を消耗され弱くなるだけだ。日本はいまのところその道をたどっている。雀鬼も本に書いていたように、「手放す」というのは非常に難しいということだろう。あるとすれば、国債破綻したときはじめて「手放す」ことができるかもしれないが、それまでは大きな変化はないだろう。

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